『セブン』という映画をご存じだろうか。
「七つの大罪」を題材としたミステリー・サスペンス映画で、ブラッド・ピットとモーガン・フリーマンが共演している。
「七つの大罪」とは、キリスト教(主にカトリック)における罪を示したもので、「暴食」、「色欲」、「強欲」、「憤怒」、「怠惰」、「傲慢」、そして「嫉妬」を指す。
映画では、お金に汚い弁護士が「強欲」の罪に当たるとして真犯人に殺害されている。ちなみに、「強欲」は英語で lust という。
この「強欲」、確かに「自分さえ儲けられればよい」ということを示すもので、特に社会の安定や公平さという観点からは確かに罪であるといえる。法律上の罪には当たらないにしても、他人との共存が必要とされる社会において、道徳的に良からぬものである。
ただ、「強欲」は、他人や社会に害を及ぼすから罪であるわけだが、実は周りの人だけでなく、自分自身をも破壊に導く要素であるのだ。
「欲」と「強欲」
投資の世界において、失敗する要因に何があるだろう?
運の良し悪しは別として、例えば、まず先行きに対する目論見の甘さ、読みの甘さが挙げられる。
つまり、情報量の差とその情報に基づいた分析の差である。
ただ、情報が氾濫する現代において、いわゆる「投資のプロ」の間で情報量の差が大きく離れることはないと思う。
それこそ、インサイダー的な情報があれば別であるが、公平な立場にあると考えた場合、情報量に差が出ることはまれだと思う。第一、個人が処理できる情報量には限界があるのだ。
さて、同じ情報が与えられていると考えた場合、その情報を元に分析し、得られる投資判断には、投資家達の間で差が出てくることはあるだろう。
それでも、正しい情報を得て、正しい分析を行い、優れた結論を得たとしても、実はこれで終わりではない。この後にもっとも厄介な問題が控えているのだ。
そう、それこそが「強欲」である。
実は、人間の感情ほど、理性的な判断を狂わすものはないと思う。いくら現実の情報に基づいて正しい判断を下したとしても、人間の感情、特に「強欲」により、その判断が狂ってしまうことが多いのだ。
自ら投資会社を運営し、優れた投資哲学を発信するハワード・マークスは、著書『投資で一番大切な20の教え』の中で、こう述べている。
「多くの人は自らの分析に基づき、認識上は似たような判断を下すが、その判断の結果、どう振る舞うかには著しいばらつきがある。それぞれの心理が行動に及ぼす影響は異なるからだ。投資上の重大な過ちは情報面や分析面の要素ではなく、心理的な要素によって引き起こされる。」(p. 144)
そして、「強欲」についてこう述べている。
「投資家の努力を台無しにする感情の第一は金銭欲である。とりわけ、金銭欲が強欲へと姿を変えると大きな影響が生じる。」(p.144)
ハワード・マークスによると、「欲」もしくは「金銭欲」は健全であるし、そもそもその欲がなければ投資などしないということで、必要なものであるとしている。
しかし、その欲が過ぎて「強欲」に変わってしまうことを戒めている。
実際、私も経験があるのだが、自分の読みが当たって儲けが出ると、ある意味市場を「なめて」かかって、大した根拠もなく、「値が上がるだろう」と考えて資金を投じてしまうことがある。もちろん、結果は推して知るべしである。
投資の勉強は、すればするほど知識は深まるが、人間の感情はなかなか鍛錬が難しい。くれぐれも「欲」が「強欲」に発展しないように気を付けよう。